世界観が圧巻!なおすすめサブカル作品 vol,2 〜ICO〜
おすすめサブカルチャー
さて、今回もこの暑苦しいシリーズです(笑)
今回ご紹介するのは、「ICO」
イコ、と読みます。
母体はゲームでして、初登場はなんと2001年! もう20年以上も前のゲームなんですね。いやはや感慨深い。
このゲーム、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストなどといった派手なゲームたちの中ではその奥深さゆえに埋没してしまい、いまいちパッとしなかったのですが、一方でその練られたユーザー体験に魅了されたファンにより根強い人気を誇り、2011年にはPS3でHDリマスターも発売されました。
そしてこの作品、ストーリー中ではそこまで多くの核心が語られなかったことで、当ゲームの大ファンだった宮部みゆき先生による小説化まで果たしています。
また、後々記事にしようと思っていますが、現在大ヒット中のゲーム作品である「ニーア オートマタ」と言うのがあるのですが、この「ニーア」を手がけたプロデューサーであるヨコオタロウ氏はこの「ニーア オートマタ」を作るにあたって「ICO」の世界観に影響を受けたという話もされています。
鬼才と名高いヨコオタロウ氏にも影響を与えたこの「ICO」
私の文章でどこまでお伝えできるかわかりませんが、できるだけ丁寧に1つ1つお伝えしていきたいと思います。
多くを語らないが故のユーザー体験

ゲームはその壮大な世界観もあってか、結構プロローグをきちんと作って プレイヤーに「ここはこんな世界ですよ〜。剣と魔法の世界ですよ〜」などと 親切に伝えてくれるものが多いです。
丁寧に解説してくれるとユーザーも何をすればいいのか安心できますしね。 実際、多くのプレイヤーさんはこちらの作りを好まれると思います。
ところが、ICOは全く逆。
あえて何も語らず、いきなりのゲームスタートです。
プレイヤーは自分が誰なのか、ここがどこなんだかもわからない。 わかっているのは、どうやら自分が幽閉されたということくらい。
そのため、最初は手探りで情報をかき集めるところから始まります。
霧の城と呼ばれる石造の建物を走り回り、ギミックを解き明かして少しずつ進んでいきます。
この情報の少なさが逆に「知りたい」という欲求を誘って、プレイヤーを世界に没入させていきます。
この誘導が本当に見事。
最初、不安になるのですよ。あまりにも何もわからないから。 だからこそ、走り回って知ろうとする。 その中で徐々にこのお城の持つ、不気味さと美しさに魅了されて行きます。
演出された静寂
ICOは基本、音がありません。
主に環境音と主人公の足音・声のみ。 灰色の石造の城にそれらが響き渡って、余計に静かなのが際立ちます。
最初、生き物の音は全く聞こえてきません。
虫一匹動く気配もなく、生命としてそこにあるのは本当に主人公のみ。
ここで感じるのはなんとも言えない不気味さです。
何も情報がないところにこの静寂。いっそ美しいほどの無機質さです。
この温度のない世界を歩き回るにつれて、キーパーソンとなる少女に出逢い、だんだん世界が広がるとともに少しずつ加わってくる音楽がまるで生命が世界に宿ってくるようにも感じます。
少女の手を引くことで芽生える覚悟

CMをご覧になったことがある方はこのゲームが少年が少女の手を引いて攻略するゲームだというのをもうご存知かも知れません。
主人公は霧の城の中で真っ白な女の子に出逢います。
謎の黒い影に襲われる少女を見て思わず助ける、という体験を通して、 主人公はこの少女と一緒にこのお城を脱出しようとするのですが、 運動神経抜群の少年と違って少女は何もできませんし、わかりません。
だから、少年は少女が一緒に来れるように場所を作ってあげたり、一緒に手を引いて、少しずつ少しずつ彼女を誘導していきます。
最初は自分一人なのでどこへ行くにも縦横無尽に動き回れたのが、彼女がいることでかえって最初手間が増えてしまいます。だから最初の頃は「邪魔だな」と思うプレイヤーもいるかも知れません。
段差の登り方がわからない彼女を手を引っ張って登らせてあげたり、ジャンプするように声をかけたり。
そして、黒い影から彼女を守ったり。
初めは一人だった冒険が、少女という守るものができたことで急に彼女中心の冒険になっていきます。一人なら行けても彼女が行けないから回り道をしたり。
でも、そうした手間をかけていくことで、彼女が一体どんな人なのかがわかり始めていき、自然と自分が彼女を守るんだ、という意識がプレイヤーに芽生え始めていきます。
歳の近い男女なので恋愛要素を思い浮かべる方もいるかも知れませんし、男性なんかはそういう印象なのかも知れませんが、女性の立場で行くと、不思議なことにまるで妹や子どもを守るような感覚にも近くなってきます。
筆者はこんなにゲームの女の子に話しかけたのは生まれて初めてでした。
「怖かったね」
「もう、大丈夫だよ」
「頑張って!」
つい、そう声をかけたくなります。
これは、このゲームを手がけた鬼才・上田文人さんの作られるゲームの全てに通ずる部分もあるのですが、この人は「空気を読むゲーム」というのをお作りになります。
ICOなら、少女がついてこれそうかどうか?
上田さんの手掛けられた別のゲームで「人喰いの大鷲 トリコ」というゲームがあるのですがこれも同じで、
大鷲トリコがついて来れているか?ここは進めそうか?
ゲームなのにその相手の顔色を伺いながら進めるというのが何とも斬新で、 かつこのシステムのせいで少女とトリコにもう愛着が湧いて仕方なくなります。 文字通りかけがえのない相手になります。
余談ですが、「人喰いの大鷲トリコ」は動物好きな人や、ペット、特に猫買ってる人は多分たまらないゲームです。
筆者はトリコだけはハードがないのでゲーム実況を見たのですが、あまりの展開にしばらく泣き腫らして過ごしました。ゲームってわかっててもあかんかった。
この何でも便利になりつつある時代に、こうやって文字通り手取り足取り教えて、一緒に危機を乗り越えていくという体験ができるゲームというのは、エンタメを超えて私たちに何か大切なものを思い出させてくれるような気がするのは私だけでしょうか・・・?
ユーザーを完全に物語の主人公にしてしまう構成の凄さ
ここまでお話が進んでくると、何となくわかってきた方もいるかも知れませんが、上田さんのゲームは遊んでいるうちにもう主人公に自分が乗り移らざるを得なくなってきます。
ゲームというのは、プレイヤーは安全が確保された暖かい部屋の中で遊んでいて仮想で笑ったり、泣いたり、達成感を味わったりするものという印象が強いですよね。
もちろんこのゲームも同じ、なのですが、誘導される感情があまりにリアル。ゲームを進めていくにつれて「あれ、これでいいの?」と思える罪悪感が芽生えたり、どうしても拭えない不安が芽生えたり。またその感情はゲームを進めるにつれて膨らんでいきます。
そして、原因不明のそこはかとない不安感や罪悪感を抱えたままゲームを進めていき、本当に最後の最後でその感情の正体が判明するというのがこの方の作り込みの 凄さです。
ゲームのはずなんですが、罪悪感ならば「私自身がこれに加担してしまった」と言うとても能動的な意識がつきまといます。
ゆえに考えてしまいます。起きてしまったこの結末をいかに自分は消化していけばいいのか?受け止めるためにユーザーがまるで主人公みたいに悩み、苦しむ。
筆者は上田さんのゲームをほとんど遊んでおりまして、「ICO」だけでなく「ワンダと巨像」もプレイさせていただきました。そのどれもが筆者を本当に深く深く悩ませてくれました。EDを見てすら悩みました。それでもこの決断をするしかなかったのか?とか。これからどう生きていけばいいのか?とか。
結構感動屋さんなので割とすぐに泣く筆者ですが、この人の作品は何というか魂にずしっと来ます。
ちなみにICOは今見ても大変映像が美しいのですがこれはハード機が変わったことでリメイクされたというより、当時プレイステーションですでにここまで作り込まれた映像だったのをHDリマスターで見やすく整えただけなのだというから驚きです。
筆者は当時、このゲームの光と影の使い方があまりに美しくて虜になったのを今でも覚えています。
クリエイターとしても、2001年と言う時期にここまでユーザー体験というものに徹底して拘って作った奇才がいたというのはゲームというサブカルコンテンツなんていう枠を超えるような刺激になるのではないでしょうか?
名作はいつ遊んでも色褪せないもの。
もし、これを機に興味を持った方はぜひ遊んでみてください。 スッキリするような作品ではないけど、だからこそ、大人が遊ぶと本当に色々考えさせられることが多いゲームです。