自己肯定感ってなんだろう? 〜あんまり教えてもらえないこころのおはなし vol.1〜

井上 美穂
心のおはなし

トランプ大統領が急にコロナにかかったかと思えば全快し、「コロナなんてもう大丈夫だぜぃ!」みたいな掌返しをする。

こんなよくわからない昨今ですが、皆さん如何お過ごしでしょうか?

のっけから長い前置きで語りかけてしまいましたが、最近はもう何が正解か不明なものに我々振り回され過ぎてますよね。

SNSを開けば、コロナを正直に怖がる人はコロナ脳と呼ばれるわ、陰謀論だ忖度ウィルスだと発言力のある人が呼びかけていたり。

もうなんでもいいけど、生活を脅かすのだけは勘弁してほしいと意識の低い筆者などはつい思ってしまいます。

さて、こんな何が正解かわからない状況が起きたとき、あなたならどうされますか?

誰かの意見を追ってみる?

それとも学んでみる?

尊敬する誰かを信じてみる?

いろんな選択肢があっていいと思います。

が。

実のところこれらの行動の本質はひとつです。

誰を信じるか、何を信じるか、ではなく。

それを選んだ自分を信じられるか。

これに尽きます。

そして、この「自分を信じられるかどうか」

ここにものすごーく関わりが深いのが今回のタイトルでもある「自己肯定感」です。

自己肯定感ってどういうこと?

自己肯定感とは、読んで字の如く

「自分をまるっと認めて、『わたしはわたしでいいんだ!』と腹の底から言い切れるチカラ」

これが、自己肯定感の定義です。

かなり、さらっと書きましたがこの定義、テストに出ます笑

因みにWikipedia先生によると

自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり、自尊心、自己存在感、自己効力感、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である。

wikipwdia 自己肯定感より

小難しい書き方してあるので、筆者が割と乱暴にまとめたのがテストに出る部分ですね。

「誰が何と言おうとこれがわたしなんじゃ!文句あるけぇぇっ!」

表向きどんなに物腰が柔らかかろうが、腹の底では世の中に向かってこう開き直れるパワーがある人は自己肯定感が高いと言えます。

筆者がパッと思いつく自己肯定感の高い人はホリエモンこと堀江貴文さんですね。

彼はあれだけ世間からの逆風に晒されようと、自分が間違ってないと思えば正々堂々戦います。

彼が世間に妥協から迎合したところって見たことないのではないでしょうか?

最近も広島のお店でひと騒動ありましたが、彼の主張はいまだ変わらないままです。

あれこそ、自己肯定感の高さが成せる技。

自分に絶対的な確信があって、そんな自分を腹の底から信じられるから、外側の意見に惑わされないでいられます。

自己肯定感が高い人と低い人の違い

自己肯定感についてはわかったし、高い人がどういう人かもわかった。

じゃあ、低い人は?

低い人はどうなるの?

ここ、気になりますよね。

低い人はというと高い人のまさに逆、という感じで、最後の最後で自分を信じることができません。

そのため、誰かに依存しに行ったり、はたまた過剰防衛で人との関わりがまともにできなかったりと色々なコミュニケーションの問題が起きて来ます。

この最後の最後で、というところがまさしく自己肯定感的なニュアンスになるのですが、この力はいわゆる根っこの力なんです。最後の砦とでも言いましょうか。

つまり、普段は分からないものなんですね。果たして目の前の人が自己肯定感が高いかどうかというのはぱっと見や、浅い関わりではなかなかわかりません。

自信満々そうに見えても、自己肯定感が全然ない人もいますし、

逆に全く自信なさそうに見えても、実は自己肯定感が高い人もいます。

じゃあ、どこでそれが見えてくるのか?

実は一番簡単な判断材料があります。

それは、

どのくらい打たれ弱いか?というポイントです。

例えば、何か発信したことに対してだとか、何か行動したことに対して、

「あなたそれはダメだよ」とか「それは間違っているだろう」と否定を受け取った時。

そもそも誰でも嬉しいものじゃありませんし、こういう場合、大なり小なり傷つくものです。

ただ、自己肯定感が高い人と低い人で、こういう出来事があったときの傷つき方は本当に全っ然違います。雲泥の差と言ってもいいかもしれません。

まず、自己肯定感が高い人は、根底の部分で自分を信頼しているので「自分の行動したその内容」に対するフィードバックだということが理解できます。

だから、例えば練りに練った内容だったのにけちょんけちょんに言われたとして、その結果に対してショックは受けますがそもそもその否定は内容だと理解できているのでしばらく泣いたらちゃんと冷静に状況を見に戻ることができます。

しかし、自己肯定感が低い人はその根底の信頼という土台がありません。するとどうなるかというと、この否定がなんと命をも脅かすくらいの攻撃性で入って来ます(発信者に攻撃性があるないは関係ありません)。すると、内容に対しての否定ではなく、「自分」という存在全てに対する否定のように、「どうしても受け取ってしまう」のです。

この違い、わかりますでしょうか・・・・?

筆者の好きなゲーム的例えをすると、

自己肯定感が高い人というのは、自身の生命を守るための盾をきちんと装備している人、という感じです。だから戦えば身体のあちこちは傷つくかもしれないけれど、心臓を狙った必殺の一撃はその盾で確実に跳ね返すことができます。

対照的に、

自己肯定感が低い人は、このあるべき盾を持たない人です。戦えば常に生命の危険に晒されます。その恐怖が強いのでそもそも冷静に状況を判断できません。結果、過剰防衛になりがちです。

いかがでしょう?こうやって盾みたいな表現すると、この両者は全然違うのがお分かりいただけると思います。

盾がないからどんな一撃であろうと、息の根を止める必殺になってしまう可能性がある。

こんな恐怖と常に隣り合わせで生きているのが、自己肯定感の低い人たちなんですね。

なんで高い人と低い人がいるのだろう?

じゃあ、なんでそんな大切な自己肯定感なのに高い人と低い人がいるんだろう?

きっとここまで来たらそんな疑問が浮かぶことでしょう。

これは、幼少期にどれだけその人が安心感を持って過ごしたか、というところに関わって来ます。

実のところ、ここはもっともっと詳細な説明が必要な部分ではあるのですが、今は割と乱暴にまとめてお伝えさせて頂きますとその安心感で

「私はここに生きてていい存在なんだ」

としっかり腹に落ちているかどうか

これが命を守る盾=自己肯定感になるわけなんです。

言い換えるならば、自己肯定感が低いということは「自分がここに生きてていいと自分で信じられてない」ということ。

だから、否定=存在が脅かされるに直結「してしまう」。本人の意識するしないに関わらず、どうしたって心の動きが「そうなってしまう」ものなんだと筆者は理解しています。

自己肯定感が高い人はこの仕組みがわからない人が多いので、叱咤激励でどうにか立ち上がらせようとする人をよく見かけますが、悲しいことに大抵、うまくいかずに逃げられていることが多いように感じます。

じゃあ、低い人はどうしたら上げられるのか?

ここまで話が進んできて、自己肯定感がいかに大切な力なのか、そしてどのくらいの頃に出来上がる力なのか、はなんとなくご理解いただけましたでしょうか?

で、ここまでわかったからこそ、なんとなく自分は自己肯定感低いなという自覚がある人はいま、ものすごく絶望を感じておられるであろうことも理解しております。

安心してください。

自己肯定感は後天的に身につけることができます。

実際に大人になってから身につけてる方もたくさんいます。

どうやって身につけるのかというと、3つのステップがあります。

STEP1:日常の中で、自分の感情の揺らぎをキャッチし、とにかく認め続けること

社会生活を営んでいると私たちは自分の中に湧き上がる感情をどうしても横に置きがちですよね。

それを出来るだけ横に置かない、という訓練をするのです。

例えば、今日どうしても学校に、会社に行きたくない!と思ったとします。

そういう時、大抵は自分を奮い立たせて出かけると思いますし、なぜ行きたくないと思ったのか?なんてきっといちいち気にしないでしょう。せいぜい昨日遅くまでテレビ見たから寝不足かなー?とかそれくらいのものだと思います。

ですが。

感情というものは意味もなく発生したりは決してしません。

絶対に理由があります。

つまりこの例で言うと、あなたはあなたにとって何か大事な不調を見落としているわけです。

その不調を放置し続けているから、それがだんだん肥大化してついには「行きたくない」という

思いになっているわけなんです。

感情をキャッチして認めることを繰り返すことはこの不調を自分で見つけるということです。

そして、その不調を自分でメンテナンスできるようになればなるほど、不思議なもので自己肯定感というものは上がっていくんですね。

自己肯定感の低い人にとっては、感情を否定するということもやはり同じく小さな自己否定に繋がってしまいます。だから、それをしない。嫌は嫌でいいし、怒りも悲しみも感じてていい。その感情が目の前の場面に相応しいかそうでないかも気にしない。今、怒りを感じているとして、目の前の相手にぶつけるかどうかはまた別の問題ですが、少なくともいま感じた怒りを偽物にする必要はないと、自分で自分にいってあげるんです。

これ、最初はとっても難しいと思います。そもそも自分が何を感じているのかがなかなかわからないということもたくさんあるでしょう。だから、決して焦らないこと。一生かけて徐々に習得していけばいいや〜くらいの気軽な気持ちで取り組んでいかれることをお勧めします。

STEP2:とにかく超簡単なことでいいので自分との約束を守ること

これは、少し腹の力、えいやっと踏ん張り続ける力が必要なので1つ目にある程度慣れて来て、日常生活を一人ならば比較的嘘なく過ごせるようになってから取り組むのがいいかと思います。

何も難しいことをする必要はありません。

例えば、朝起きた後に軽く乱れたベッドを直すことだったり、そんな簡単なことで大丈夫です。

些細だけど、やっておくと後々自分が気持ちよく過ごせることからとりかかりましょう。

そして、自分のために快適さを作る努力を続けていくと、根底で自分に対する信頼が本当に徐々に徐々に育ち始めます。これも1つ目と同じように苗木を育てるが如く長い目で取り組んでいきましょう。

STEP3:自分の過去をもう一度閲覧し、誰かと一緒に客観的に整理すること

これは順番関係なく1つ目や2つ目と同時進行で取り組んで行っても大丈夫。

ですが、おそらくこれが3つの中で最も難しい訓練です。

まず、記憶を整理するには、思い出の1つ1つをしっかりと意識の上に上げて思い出していかねばなりません。

人間の脳は本来非常に賢いもので、感情を伴う記憶というデータは消去されることなくずっと積み重なって行きます。ですが、強い混乱を生じるような記憶に関しては生命を守るために閲覧できないほど、奥に仕舞い込まれることがあります。

こうなった時に、その刻まれた記憶そのものは遠い過去だったとしても、脳の方は閲覧による危機を回避しようとして記憶を見に行った現在の本人に対し、防御機構を発動することがあります。

これが顕著に出たものがPTSDや、多重人格と言われています。

自己肯定感が低い人というのはそもそもにおいて、過去に自分に対する信頼を獲得できなかった時期からずっと傷ついています。そして、ショックなことが起きる度、幾度も脳は生命を守ろうとして来たので、そのせいで、いざ取り組もうとしたら記憶は脳の防御機構が発動しまくる罠だらけのダンジョンみたいになってて、頑張っては見るんだけどちっとも閲覧が進まないじゃねーか!ということも多々あります。

こうなった時に、慌てず、しかし諦めずに取り組む必要があります。

加えて、記憶とは本人の主観がかなり混ざるものでもあるため、閲覧できたとしても自分一人では出来事の真実にたどり着くことができません。

だからこそ、信頼できる伴走者が必ず必要です。

脳や心理に詳しくて、かつ、客観的な視座をしっかり持ったメンターさんがこの過程には必要不可欠。

カウンセラーさんや心理療法士さんなんかを思い浮かべがちですが、専門職や肩書き云々はここにはあまり関係ありません。

人の悩みを冷静に分析し、コーチしてくれるような人を探しましょう。

できれば、悩んでしまったり落ち込んでしまった時でも寄り添ってくれる優しい人がいいですね。

一番いいのはやっぱり自己肯定感が低かったところから自分を徐々に育て直し、健全な自己肯定感を獲得した実績のある人かな?

さて、この3つのステップを少しずつでも踏んでいくと確実に自己肯定感は育って行きます。

すると、否が応でも実感すると思います。

例えば、前はぐっさりと傷ついて立ち直れなかったはずの内容でも、いつの間にか結構回復していて、もう一度挑んでもいいか!という心境になれていたり。

前は適応障害になるまで頑張ってしまったけど、適切に怒りを伝えられるようになって来たりとか。

ある程度の経験値を持って、すこーしずつレベルアップしていく感じなので最初は本当にきついのですが、やったらやった分だけ確実に成果に繋がりますので、是非、急がず慌てずマイペースに取り組んで行ってください。

あ、そうそう。3つ目の伴走者ですけど、どーーーーしても心当たりない!!でもやりたい!という方は、個別にリッツイにお問い合わせください。

こちらが信頼をおいている伴走者さんをご紹介させて頂きますので。